訪問 平成16年4月4日

天延記念物に指定されているアホウドリの繁殖地。
南側から接近して反時計回りに2周しました。


※島の名前は鳥島ですが、日本の島には○○鳥島と名前が付く島が多いので伊豆鳥島と表記します。

●この島のポイント
・現在も火山活動が続く島
・アホウドリの繁殖地
・ジョン万次郎が漂着し(アメリカの捕鯨船に救助され)た島
・明治以降、アホウドリの羽毛を獲る人々が島に移住する
・1902年(明治35年)の噴火で島民全員が死亡
・以降も人が住む事があった物の1939年に再び無人島に
・戦後、気象観測所が設置されるも1965年の群発地震活動で職員撤退、以降無人島になり現在に至る

●島の見所
・噴煙の上がる硫黄山
・気象庁観測所跡
・ドーム
・デコイ

前日午後7時に父島を出発、一晩かけて伊豆鳥島へ向かい、
夜明けと共に島のクルーズが行われます。早起きして船の位置を確認。
(画面赤丸が船の位置、青線は小笠原への定期航路)



全景
島の南側から撮影 左の山が月夜山、中央が硫黄山、右の山が旭山

燕崎
島の南東部になだらかな斜面があります。ここが燕崎。
現在殆どのアホウドリは、この燕崎で繁殖をしています。


旭山
島の東側にある旭山です。山の東側は崩れていて崖になっています。
一方、北側(島の北東部)はなだらかな斜面です。

千歳浦
伊豆鳥島の中では珍しい平地ですが、これは1902年の大噴火で流出した溶岩が流れた跡です。

硫黄山
伊豆鳥島最高峰の硫黄山です。 現在も硫気活動が続いています。


海岸線の黒い箇所が千歳浦です。

左写真:島の北側から。
右写真:手前右側の窪んだ土地の海岸線が兵庫湾、その向かって左側が船見岬です。

気象観測所跡/ドーム

島の北西側から南方向を撮影
1965年11月(昭和40年)群発地震発生の為、観測所は閉鎖。職員は全て島外に避難して、無人島となりました。建物は現在、島の研究者らのベースキャンプ地として使われています。 島の西側の山の上にあるドーム。

島の西側から。


←月夜山

2周を終えた船は
南下して島を離れます。

〜アホウドリとアホウドリ研究保護の第一人者・長谷川博先生〜

アホウドリは一度は絶滅したとまで言われた鳥です。
その鳥が未だ僅かながら生息している事が分かったのが1951年。
以降懸命の保護・繁殖活動が行われています。
国指定特別天然記念物。

鳥島のシンボルとも言えるアホウドリですが、今回見に行ったときは・・・・
(海上の)アホウドリ

風が無いとアホウドリは飛ばないそうです。この時、鳥島は風の無い穏やかな天気でした・・・・。

現在、アホウドリは主に島の南東部の燕崎に巣を作ってヒナを育てています。

しかし燕崎は急斜面な上に地面が崩れやすく、アホウドリが繁殖するには好ましくない環境となっています。
その為、アホウドリの繁殖を目指す為に燕崎に草を植えるなどして保護活動が展開されています。

さらに現在、アホウドリを燕崎よりも斜面がなだらかで安全な島の西側・初寝崎へ誘導する活動が続けられています。
初寝崎の斜面にアホウドリの模型(デコイ)を設置して、本物のアホウドリを初寝崎に呼び寄せ新たな繁殖地にする作戦が展開中です。
成果の甲斐あって、ここ数年初寝崎でのアホウドリの繁殖が増えてきています。その数は燕崎と同等にまでなりました。

気象観測所跡の斜面に設置されたデコイ 拡大


アホウドリの繁殖地は鳥島の他に尖閣諸島があります。しかしながら尖閣諸島は政治的に安定しない島なので十分な保護活動が出来ません。
更に伊豆鳥島も火山島ですので、常に噴火の心配が付きまといます。
その為、小笠原の聟島列島を新たなる繁殖地にしようとする計画が進んでいます。
この計画が成功すれば、アホウドリは安定的に増え続ける事ができるでしょう。

今回のクルーズ時に長谷川先生が調査活動の為に島に滞在中で、
クルーズ時には無線を用いてアホウドリの説明を聴く幸運に恵まれました。


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