第1回訪問 平成15年10月18日
第2回訪問 平成16年 9月12日
硫黄3島の中で最大の島、硫黄島(別名:中硫黄島)です。
南硫黄島から北上、島から2kmの距離を時計回りに1周半しました。
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●この島のポイント
・太平洋戦争での一大激戦地
・南・北硫黄島と全く異なる、平坦でなだらかな地形
・現在は島全体が自衛隊の基地となり民間人の上陸は不可能
・島全体が活発な火山活動地域で、硫黄や水蒸気の噴出が続く
・島が異常な早さ(年間30cm!)で隆起し続ける
・鶉石がある島
●島の見所
・島南部の摺鉢山(硫黄島最高峰 161m)
・鶯地獄
・監獄岩
・釜岩
・太平洋戦争当時そのままの沈船郡
・自衛隊の施設郡 |
擂鉢山(すりばちやま)
南硫黄島から北上して来ると先ず島の南端にある、この山を見る事になります。
この山の頂上に上ると島を一望できるそうで戦前、島に住んでいた住民は山登りを楽しんだそうです。
一方で戦争時には米軍がこの山の占領を急いだそうです。
対する日本軍もこの山を重要拠点と位置付け徹底抗戦し、激戦となりました。
珍しい鳥
島を眺めていると近くで人だかりが出来ていました。
見てみると珍しい鳥を捕獲したようで鳥愛好家が群がって興奮気味に撮影していました。
繰り返して自分は鳥の事は良く分かりませんが、貴重な鳥の様ですので一緒に撮影。
島 西海岸 |
鶯地獄 |
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船は島の西側を北上します。左の写真。先ず海岸の手前、
海面から突き出た黒い塊がありますが、これは太平洋戦争時の沈船です。
島の奥には現在使用中の鉄塔が立っているのが見えます。
写真左側には石油の貯蔵施設でしょうか?コンビナート郡が見えます。
写真右側、白い煙のような物が見えます。噴出部をズーム撮影しました。
右の写真。鶯地獄と言う名前が付いています。
脇の道路に車が停まっていますが、車のサイズから噴煙の規模が良く分かります。
船上でも硫黄臭がしました。手前の沈船も注目です。
タンク施設の真西に来た所でデジタルズーム撮影。
ここに写っている沈船は先程写っていたのは別の物です。
この海岸には船の残骸が沢山あります。
船が陸に揚がっていますが重機で引き揚げた訳では無く地面がこれだけ隆起したのです。
60年前に海底に沈んた船が、今この状態です。
沈船郡
アメリカ軍は戦後、コンクリート船を沈めて桟橋を作ろうとしましたが計画は失敗。
その残骸がこの沈船郡です。
港の無い島
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父島には二見港と言う天然の良港があるのに対し、硫黄島は港はおろか湾すらありません。
硫黄島は比較的平坦な島ですので空・・・・空港としての都合が良い島です。
その結果硫黄島は戦中、日米双方にとって極めて重要な軍事拠点となり、一大激戦地となりました。
(左写真)硫黄島に来る船舶は沖合いに停泊して、はしけを用いて上陸する事になります。ここが物資陸揚場になっています。 |
釜岩
写真では分かりづらいのですが、手前の部分が釜岩です。戦争中は一つの島でしたが、余りに激しい隆起の結果、硫黄島と陸続きになりました。
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監獄岩
島の北西の沖にある岩だけの平坦な島です。 監獄岩をズーム撮影。
↓監獄岩に関して情報提供を頂きました。(頂いた情報を元に記載)
監獄岩には砲台の基礎部分のコンクリートが残っていました。
多分米軍のものだと思いますが錆び付いたブルドーザーが1台残されていました。
平和祈念墓地公園 |
北ノ鼻 |
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青い海
これはカラーバランスを調整した写真ではありません。
南の島の青い海そのものです。
この景色を見ていると激戦地だったとはとても思えません。
離岩(左)と千鳥温泉 |
千鳥温泉(拡大) |
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天山慰霊碑 |
東岩 |
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島の北東側、小高い丘の上に天山慰霊碑があります。
慰霊碑の右に見える赤い屋根の建物は納骨堂(六角堂)。
島内で発掘されたご遺骨は内地へお帰りになるまでここに安置されるとの事です。 |
日出浜の沖、
4km程の所に浮かぶ岩礁です。 |
海上自衛隊・航空自衛隊 硫黄島基地
本州から遠く離れたこの島に自衛隊の施設があります。
船上から見た限り、本土並の施設が整っているようです。
滑走路もありますが、滑走路下にも遺骨が眠っているそうです。
東側から摺鉢山を臨む |
扇浜 |
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再び擂鉢山 飛石鼻
船は島を1周して南端に戻ってきました。
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飛石鼻 島の最南端です。 |
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摺鉢山南側のふもと |
頂上付近 |
船は擂鉢山を回りこみます。南西方向から撮影。
手前側が崩れていますが、これは米軍の砲撃で崩れた跡だそうです。
島を防衛する日本軍に対し、海上からの米軍の攻撃は地形が一変する程の激しさであったそうです。
山の崩れた跡が当時の攻撃の凄まじさを物語っています。
1周し終わり、監獄岩付近まで航行してきた所で、献花と黙祷が行われました。
(写真は第2回クルーズ)
献花は森下一男小笠原村村長、池田望小笠原村議会議長
鈴木敏夫静岡県榛原郡本川根町町長 (原生自然環境保全地域代表)
が代表として、Aデッキで行われました)
(第1回クルーズ)
献花の後、おがさわら丸に乗船している全員で黙祷。おがさわら丸の汽笛が1分間鳴り続きました。
私も黙祷。・・・・。
このクルーズ後、父島で宿をご一緒した方から聞いた話ですが、Aデッキではご年配の方々が黙祷時に直立不動で島へ敬礼をしたそうです。
旧日本軍の関係者の方々らしかったとの事で、島で散った同胞や親族への敬礼だったのでしょうか。
おがさわら丸は西側の沖をそのまま北上して硫黄島を離れます。
擂鉢山を見ながらお別れです。
硫黄島。
抜けるような青空、美しい海、珍しい鳥の数々・・・・。見た限りは南国の楽園ですが、ここで行われた戦いの痕は今尚、生々しく残っています。
この島で家族を亡くした方、かつて住んでいたこの島へ帰島を願う方、ご遺骨を一柱でも内地へ返したいと努力する方。
この島が背負っているものは余りにも重く大きい事を痛感しました。
硫黄島の珍しい石 鶉石(ウズラ石)
火山活動で出来た灰長石の一種。
世界でも硫黄島とイタリアにしか存在しない珍しい石です。
(母島・ロース記念館 蔵)